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2011年10月

2011年10月21日 (金)

原発事故と交通事故の危険性の比較には無理があります。

前回の続きです。
ツイッターで原発事故と交通事故を比較するのは詭弁だと言ったら、詭弁だと言って説明しないのは詭弁だ、と謎の返事を頂いたので、不完全ながら前回の記事を上げました。猛烈な勢いでつぶやく人だったので大変な反論でも来るかと思いきや、まさかの無反応。拍子抜けしました。

以下は詭弁とはまた違う側面からの話になります。

原発は今まで「事故は起こらない」と言って建ててきました。あるいは5重の壁があるので万が一にも放射性物質が外に漏れるようなことは起こらないと言ってきましたね。

「東京電力福島第一原発の事故を受けて他の原発は既に対策を施したので安全上問題はない」

なんて言う人もいますが、そんなに簡単に出来るのなら今までやらなかったことを糾弾すべきです。そして、こんな事故を起こしてまだ収束すらしていないのに、よく安全なんて言葉を使えるな、と呆れます。

では、自動車についてはどうでしょうか。

もちろん、シートベルト、衝突安全ボディ、最近では自動停止装置までついてるものもあって、安全対策は様々行われています。同時に道路の表示を工夫するなど、別の面からも事故を減らす努力が日々行われています。
それでも自動車事故は起こりますし、その事実は隠されていません。気をつけるように再三注意されます。
そして、運転している人も歩行している人も、交通事故は起こるものと認識しているはずです。特に気にしていなくても、事故が起こったときに、「まさか自動車が事故を起こすなんて思わなかった」なんて人はいないでしょう。つまり私たちは、交通事故は起こるものである、という前提のもとに暮らしているのです。

もう一つ言えば、駅では電車が来る度に「危険ですので黄色い線の内側までお下がりください」ってアナウンスされますよね。これも鉄道は人と接触事故を起こしかねない、という危機管理の上で運行されているからです。

これもよく比較される飛行機ですが、墜落した場合、高い確率で多数の死者が出ます。もちろん安全対策は万全だったのか、運行上問題はなかったのか、など責任追及はされます。ですが、飛行機が墜落したこと自体に驚く人がいるでしょうか。まさかこの便が落ちるとは思わなかった、という人はいるでしょうがそれは根拠のない希望的観測であり、飛行機は落ちても何の不思議もないし、航空会社も「絶対に落ちません」とか「落ちても絶対死にません」などという嘘は言いません。

自動車も電車も毎年多くの死亡事故を起こしています。だから、全廃した方がいいのか。

もし、同じかあるいはもっと良い移動方法があって、そっちのほうが安全なら廃止すべきものかもしれません。でも、電車には電車の、自動車には自動車の特有のメリットがあり、利用するものにとって変えがたい価値があるのです。なので、危険は承知で、その危険性と利便性、どっちを取るか、という判断で選んでいるわけです。無意識のうちかもしれませんが。

それでは、原発はどうなのか。
物凄く基本的なことですが、発電所は電気を発生させるために存在しているのですよね。その手段は、何であっても結果的に電気が出来ればいいわけです。
もし、今ある水力発電だけで今の需要が十分賄えたとしたら、原発が必要って言う人はほとんどいないと思います。いるとすれば、利権で得をしている人や軍事転用を目論んでいる人くらいでしょう。
なぜなら、必要なのは原子力ではなく「電気」だからです。
その電気を利用することに限って言えば、自動車や電車のように、他の手段では変えがたい利点というものは原子力にも水力にも火力にも全くないのです。安定的に届きさえすればなんでもいいはずです。

だったら、そんな危険を冒してまで原発にする必要がどこにあるのか。

コストが安いなんていう嘘は今更使えません。

すぐに「対案を出せ」と切り札のように言いますが、これまでのように、むやみやたらと無駄に電気を使う生活を維持するためには当面は既存の原発の再稼動が必要かもしれません。今年の夏は、付け焼刃の節電で乗り越えました。計画的に節電していけば、現在ある原発を止めるだけでもなんら問題はないだろうと僕は思います。ご自分の生活している場所を見渡してみて下さい。計画的に、出来るだけ無駄な電気使用を減らそうと思えば、やれることは山のようにあります。照明を設置する位置一つ変えるだけでも大きく変化します。
加えて、原発を優遇してきた電気事業のあり方を変えればいいのです。他の新技術は非現実的な夢物語だ、とおっしゃる方もおられますが、フェアに闘える環境が整っていないのです。

一方自動車や電車をめぐる状況はどうか。
自動車や電車は人や物を移動するためにある。その方法は他にないか、と言えばある。しかし、他の手段には変えられない自動車特有のメリットがある。そのメリットと、事故による危険性とを両方知った上で必要と判断して利用しているのだから、健全な状況である。もちろん無謀な運転する人などは言語道断です。さらに、電車で言えばそこまで高速移動する必要があるか、ということを顧みる必要はあるでしょう。

最後に

福島第一原発の事故を受けて、「安全対策を万全にしたのに稼動を認めないのはヒステリーだ」って言う人いますよね。では、その安全対策ができた、と言っているものの内容を確かめましたか?
そもそもそんな短期間でまともな対策が出来るわけがないのですが、「非常用電源を高台に追加した」なんてのはまだ良い方で、「防波堤の建設や電源車の配備をすることが決まった」なんてまだ実現していないことまで含まれています。そして一番酷いのが、「事故時に建屋に水素が充満して福島のように爆発しないように、水素を逃がす穴を開けるドリルの用意が出来た」というものです。事故が起きないよう、ではなく、事故時により酷い状況を回避するために、放射性物質を含んだ空気を外に放出するための穴を開ける工具が用意できただけですよ?しかも水素が既に充満していたら、ドリルなんて使えるの?

こんないい加減で、しかも完了していない対策で、安全になりましたって言える方がどうかしてます。


2011年10月18日 (火)

原発事故と交通事故の比較は出来るのか。

今回は、かなり前から書こうと思ってたが、簡潔に仕上げられなかったので保留していたことを、不完全ながら書きます。

放射性物質の危険性や、過去の事例の真偽などは、専門的な肩書きを持つ方々の中でも様々な意見が飛び交っていますが、それについては僕が信じた話を基準にします。現在の福島県は全く危険がない、というような意見の方は、ご理解いただけないことが確実なので、読む意味はないと思います。

では本題。

事故発生直後から、原発事故と交通事故を比較する人がちょくちょくおられます。

「今回の事故では誰も死んでおらず、交通事故では毎年沢山の人が亡くなっている。原発が危険だからなくせ、と言うのならなぜ自動車が危険だからなくせ、って言わないのか」
というようなことをおっしゃいます。

まず急性被曝と断定されたもの以外は原発事故による死者に数えないところが不自然ですが…
単純に発表されている死者数を比べると、交通事故の方が圧倒的に多いのは事実です。したがって、このような意見にあっさり納得してしまう人も多いかと思われますが、僕はこれは詭弁だと思っています。いや、詭弁と言うより的外れだと思います。

僕の考えを述べます。

物事を比較するためには、どこかで条件を揃えるか、あるいは基準となるものを示さなければなりません。

今回の東京電力福島第一原子力発電所の事故と、日々起こっている交通事故で比較するのが正しい方法でない一つの理由は、福島第一原発事故は現在継続中だということです。
人の手によって収束に向けて作業が続けられている状況です。復旧作業ではありません。作業を止めても事故が進行しないところまで未だ到達していないのです。

現状を無理矢理自動車事故に例えるなら、故障して暴走し、周囲の車に激突した車がまだ止まれずに運転手が必死に止めようとしている最中、という感じでしょうか。

では仮に、現時点で想定できる最良の形で事故が収束したとします。それなら比較できるのでしょうか。

交通事故が大規模に起き、多数の死者が出たとしても、事故自体はごく短い時間で終わります。場合によっては、その事故のために後々身体に悪影響が出てくる場合や、数年後に亡くなるという方も出るかもしれません。これは、直接的に事故に遭遇した人が受ける被害です。

一方、原発事故は、事故が収束して放射性物質の新たな飛散を食い止める覆いが出来たとしても、既に撒き散らした放射性物質はまだ残っています。そして、直接放射線を受ける、呼吸、飲食で摂取するなどで途方もない長い時間、生物を攻撃し続けます。それは傍にいた人だけじゃなく、遠く離れた人に、さらには、次の世代にも影響します。チェルノブイリ原発事故による汚染の被害を受けた地域では、子供のころに被曝した人が、大人になって妊娠しても、お腹の中で異常が判明して堕ろすということも少なくないそうです。もちろん死亡としてカウントはされません。

原発事故での直接的な死者数だけで交通事故と比較する人は、こういった広域的、長時間の影響がないものとして話しているのです。あるいは何も知らないか。

ここまで読んで、原発事故と交通事故を比べることがおかしい、と思わない方がおりますでしょうか。
では、こう考えたらどうでしょう。

25年も経ったので、直接的な犠牲者をある程度正確に判断できる時期にあると考えられるチェルノブイリ原発事故と交通事故を比べてみましょう。

チェルノブイリでは、原子炉1基が爆発。
福島第一原発事故を受けて政府が採用した、チェルノブイリ事故による被害の評価だと、原発内で急性被曝で亡くなったのが28人。その後現在までに19人亡くなってるが、放射線被曝との関係は認められていないとのこと。ここでは敢えて少なめに見て28人とします。
地域住民は現在までに15人亡くなったとのこと。
足して43人となります。
ちなみにこれは、推進派が作った極端に過小な評価だとして批判の声も大きいです。

交通事故で考えて見ましょう。1台の車の事故で43人なくなることってありますでしょうか。よほど無理矢理大勢乗った車が崖から転落などしないとそんなことにならないでしょう。

原子炉1基で、43人死んで、内15人は直接関わってない人である。
自動車1台の事故で、43人も亡くなるなんてことは、通常考えられない。

よって原発事故は交通事故より危険である。

なんて言われたらどう思います?
こんなの馬鹿げた理論だと思いませんか?

僕にとっては、原発事故と交通事故を比較することは、これくらい馬鹿げてると思うわけです。

数字による比較というものは、一見揺るがない真実を表しているかのように見えて、実は自分の意見に都合のいいように、条件を変えてしまうことが可能なのです。

さて、「詭弁」と言った理由については、ここまで。次に、原発事故と自動車事故、鉄道事故、航空機事故などを比べてはならない理由を、後日さらに綴ります。

2011年10月13日 (木)

自らの理念を裏切り続ける政治家たち

日々、政治家の驚くべき発言が聞かれますが、彼らの公式HPを見ると、もっと驚くことが書いてあります。
政治理念と言うのか、スローガンと言うのか、HPのトップに大抵掲載されている言葉が、むしろ笑えてくるくらいピンポイントで自分の行動を否定しています。このブログやツイッターでいくつか紹介してますが、改めてここにまとめてみました。

では、お楽しみください。

現在、フリージャーナリスト田中龍作氏の記事で糾弾されている、内閣府大臣政務官・園田康博氏。
福島第一原発の作業中に死亡した方について、司法解剖や警察の捜査をしたのかといくら質問しても、「東電にお任せしてる」だの「各機関が適切に対応している」だのと逃げるばかりで、真実の追求を完全放棄している彼の理念はこれ。

『真実一路』

ただ一つの路を自ら封鎖してしまったようです。


次は、もう説明不要の前官房長官、現経産大臣・枝野幸男氏。
避難は不十分、食物の検査も後手後手、公務員制度改革は諦めて官僚の顔色を伺い、どうやら利権がらみらしい判断がぞろぞろと出てくる彼の理念はこれ。

『許さない!! 利権・バラマキ・先送り』

脱官僚主義ってのもある…


以前ここでも紹介しましたが、元日本原子力発電社員、生粋の原発っ子、与謝野馨氏。
原発事故について「神の仕業としか説明できない」や「人間としては最高の知恵を働かせたと思っている」など、全く反省のない発言を繰り返し、原発のために多くの人が苦しんでいる中、原発の必要性を訴えていた彼の理念はこれ。

『心優しき政治!!』

原子力ムラにはとても優しいですね。


前文科大臣・高木義明氏。
多くの福島県民、本来の規則だと閉鎖しなきゃならないほどの線量が計測されている学校に、多くの子供たちが通うという現状に、福島の方々やそれを問題視した他県の方々、国会議員たちの抗議に対し、支離滅裂な言葉で安全を強調し続けた彼の理念はこれ。

『希望と安心の国づくり』

そのためには絶望と不安を国民に与えることが必要みたいです。


前内閣から引き続き農水大臣を務める鹿野道彦氏。
汚染食物の流通を阻止出来ず、何度も何度も一般消費者の手元まで流れてしまっている最中に、海外に向けて「汚染されたものは流通してない」と嘘を吐き続けた彼の理念はこれ。

『公正・安心・共生』

呆れてものが言えません。


環境大臣、原発事故の収束及び再発防止担当、内閣府特命担当大臣・細野豪志氏。
緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)がなぜ公表されなかったのかという理由に「パニックを恐れた」というとんでもない発言をし、しかもその後も公表すると言いながら全然公表しないという、主権者である国民を見捨てた彼の理念はこれ。

『民主という選択』

「民主党選択」の誤植ですかね。


現官房長官・藤村修氏。
国会にて、福島の小学校で牛乳を飲まない生徒を先生がつるし上げるという非情で異常な事件が起きているという話をしている最中に、なにやらとてもおかしげに笑っていた彼の理念はこれ。

『常識と普通の市民感覚を忘れない!』

「深刻な話にはきちんと笑うこと」というのが一般市民の常識だと認識。

そして最後に、現総理大臣・野田佳彦氏。
全てが官僚の言いなりで、そもそも何をしたくて総理大臣になったのかさっぱりわからない彼の理念はこれ。

『ドスンパンチ!!』

理念も全く意味が分かりません!

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