最近のトラックバック

2017年3月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ

文字起こし

2012年3月16日 (金)

児玉龍彦氏出演番組より、低線量被曝を遺伝子の専門家からどう見るか、という話。

東北Z 直撃インタビュー・被災地の目線で「児玉龍彦」

東北地方で2/10に放送され、是非全国で放送して欲しいと反響があった番組です。収録は1/14。その番組が、東京では3/7に放送されました。

是非全部見ていただきたいと思って調べたら、既に文字起こしされていましたので、今回僕が特に見て欲しいと思った部分を抜粋し、より詳細に理解できるよう、画像を多めにして構成し直しました。
全編文字起こし&動画は、こちらのブログにございます。→みんな楽しくHappyがいい

今回、上記ブログより骨子を勝手にお借りしましたことをここにご報告いたします。

では、以下、文字起こし。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

出演者

Kdm001
児玉龍彦(東京大学アイソトープ総合センター長)

Kdm002
杉尾宗紀(NHK仙台放送局アナウンサー)

※政府やマスコミが嘘をついてたが、最近その嘘にみんなが気付き始めてる…という話題で・・・・・

児玉
「はい、初めはですね、これはあの…放射線に関する議論では、低い線量の放射線は健康に問題がないんですよと」

杉尾
「そういうのもあります…」

児玉
「それで高い線量の場合にはもちろん火傷にもなるし、癌もできるし、だけど低い線量の放射線は問題ないんだという事が、まことしやかに言われて」

杉尾
「あの…一回のレントゲンで受ける線量の何分の1ぐらいですから、ま、すぐに健康に被害が出るというのは考えにくいというような、そういう報道をしていましたよね」

児玉
「ところが、たとえばチェルノブイリでも、低い線量のはずの被曝のところで、4000人も子どもの甲状腺癌が出ている。そういう事が、皆さん今ではご存じになってるし、さらに、いろんな膀胱の障害だとか、その他のものが、これから数10年に渡って生まれてくるであろうという事が、心配されている訳ですね。
特に、癌という問題に関して、今まで言われた低い線量であればDNAは、放射線を受けるとDNAって、切れちゃうわけですよね。これは低い線量でも切れるんです。だけど、切れたものを修復する力というのが、放射線を受けると誘導されてくるから、『問題ないんです』って、言われていたんですね」

杉尾
「切れても、元に戻す、いわゆる復元力があるので、弱い線量だったら問題ありませんよと」

児玉
「ところがこれはですね、ま、一番よくやられたのが、アメリカのオークリッジスタディっていうやつで、何10万匹っていうネズミに放射線をかけて、それを見てった実験があったんです。だたその時は、2万5千のネズミの遺伝子の中の、7つだけを見て修復されているって言ったわけです」

*

Kdm006

そもそも、放射能はどのようにして癌を引き起こすのでしょうか?

Kdm007

その仕組みを理解する鍵は遺伝子にあります。

Kdm008

Kdm009

セシウムやヨウ素といった、放射性物質が出し続ける放射線、これはDNAを傷つけます。

Kdm010

しかし、DNAは普段、増殖と死滅を繰り返しています。

Kdm011

Kdm012

Kdm013

傷を負ったDNAは増殖する時自らを殺す仕組みがあるため、通常傷の影響は出ません。

Kdm014

これが修復です。

Kdm017

ところが、何らかの理由で修復されず、傷ついたDNAが生き残って、増殖する事があります。

Kdm018

このようなDNAが癌の原因になるのです。

では、どのくらいの放射線を浴びると癌になるのか、これについては専門家の間で論争になっています。

*

Kdm021
【11月25日】提供ニコニコ動画
第4回 内閣官房 低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ

丹羽太貫 ニワ オオツラ(京都大学名誉教授 / バイオメディクス株式会社社長)

 

※会話の流れを表にしました。縦軸が時間。

丹羽太貫児玉龍彦
「だから、6ベクレルが原因なんだというのはひとつの原因だけをピックアップしていますよね。たまたま、だからその場合は6ベクレルであるのか他のファクターなのか分かんないじゃないですか」  
  「はい、ですから先生のおっしゃっているような…」
「だからそれはそれで、そ、結論付けるのは止めていただきたい」  
  「むしろ、ですけれど、先生の方の結論の付け方が、関係ないという結論だから、
「関係ないじゃなくてそれを、それで非常にリスクがあるとおっしゃるのは、やはり問題であると」 問題だという事を申し上げています。それで、私が…ちょっと聞いて下さい、ちょっと聞いて下さい」

*

Kdm024

広島長崎の被爆者の調査によれば、年間100ミリシーベルトを超えると、発癌のリスクが明らかに上昇します。

Kdm025

論争になっているのは100ミリシーベルト以下の被曝です。

Kdm026

その範囲の被曝では影響が出ないとする説と、影響は少しずつ出るという説とがあり、意見は分かれています。

遺伝子を研究する児玉さんは、低線量被曝にはリスクがあり、少しでもリスクがある以上警戒すべきだとしています。

Kdm027

その根拠として、一部3重らせんになるDNAの存在など、最新の成果を上げます。


児玉
「私は自分の専門はゲノム科学と、2万5千の遺伝子を全部見るのが専門なんですが、ゲノム科学でチェルノブイリの子どもたちを見た時に、2万5千の遺伝子の中で、染色体の7番の1カ所に、これが修復される時に遺伝子が3つになっちゃう。普通は、お父さんとお母さんから2つなんですけど、それが3つになっちゃうんです。そうすると、その他の2万4900に何もなくても、1カ所修復エラーが起こったら、病気って生まれてしまうんです。これが、癌の元になる」

杉尾
「なるほど…」

児玉
「だから、放射線が当たってすぐに癌がでるっていうんじゃなくて、放射線が当たって、死んじゃうはずの細胞が、生き残った時に、癌が出来てくる。だから、低い線量でも癌を起こすことがあると。それがチェルノブイリでは4000人の子どもに起こったと。それじゃぁ今度日本でどういう事態が起こってしまうかというところが、非常に心配だっていうことです」

杉尾
「それは、今回その3月の事態でですねぇ、まそういう、その放射線で、その・・遺伝子が、ま、損傷してしまった、人・・ま、子どもさんがいたとしてですね、それは、あの~、それがその、あぁ変だなって分かるのって、いつ頃」

児玉
「あのですね、すごく問題なのは、癌って、最初の1個とか2個の時は診断できないんですよ」

杉尾
「あ、そうですねぇ」

児玉
「それで、癌が起こるには細胞に1個遺伝子の変異が入るだけではなしに、今我々は多段階発癌てんですが、癌化するには、2個3個の遺伝子がおかしくなると癌化するという、その2個3個の遺伝子に変異が起こって、どんどん増殖が止まらないもんになると、もう、みるみる大きくなって転移して、そうなって初めて分かる、っていうものですから、ある意味で言ったら、非常に潜在的に怖いものだという事です」

杉尾
「その期間は、どのぐらい何カ月、とかで、こう…」

児玉
「普通はですね、それが大人の場合は、30年ぐらいかかると考えられてる」

杉尾
「は、30年。あの、今回の事態で、その癌が出来るかどうかっていうのは、まだ、今の段階じゃ全然わからないってことですか」

児玉
「はい、それで小児癌だけは早く起こりますから」

杉尾
「えぇ、小児がんの場合はどのぐらい」

児玉
「小児がんの場合は大体10年位で…」

杉尾
「10年くらい」

児玉
「ピークを迎えます」

杉尾「それでも10年ですか」

児玉
「はい」

杉尾
「じゃあ、もう本当に、子どもさんが、たとえば小学生が、もう10年だったら高校生になってたりとか」

児玉
「はい、それでもう一つ非常に難しいのは、色んな遺伝子の変異が色んな処に起こっている場合には、まぁ、ヨウ素の場合は甲状腺に集まるから、甲状腺がんってことで、よく分かりましたが、それ以外の放射線核種の場合は、ある意味でいったら、どこへ起こるかっていう予測が、核種ごとに違いますし、非常に難しいです」

杉尾
「はぁ…えっと今回はセシウムが、多いんですよね」

児玉
「はい」

杉尾
「セシウムってどうなんですか?」

児玉
「セシウムの場合に今一番心配されていますのが、セシウムっていうのは、ま、腎臓からいったん排泄されるんですが、尿細管で再吸収されて、身体をぐるぐる回って、最後はオシッコに出ていくもんで、やっぱり尿路系、膀胱とかなんかの、まぁ増殖性の変化とか癌が一番心配されていますが、果たして今回の事故で、そこが最初に起こるかどうかは誰も、分かっていない。
そうするとですね、ただ待っているというよりは、やっぱりあの、日々の地域医療をきちんとしておく。だから、今度、多分福島で私がすごく大事だと思うのは、地域の医療、特に子どもさんの医療を、徹底的によくして、日頃からいろんな問題に相談に乗ってあげるシステムを作る。これが一番いい、健康被害の予防の手段ではないかと思っています」

Kdm004

◆◆◆◆◆ 文字起こし以上 ◆◆◆◆◆

しかしこの人は最初に話題になった時からそうだが、避難させろとは決して言わない。

除染には家一軒500万円かかるので、国からの除染費用70万円では全く足りない、高圧洗浄しても無駄だから屋根を剥がせ、など、きびしいことを言うけど、住民が戻され、自ら除染させられている現状をどう見ているのか、気になるところである。
 

2012年3月13日 (火)

『ヒバクコク~切り捨てられた残留放射線~』 文字起こし(4/4)

Hbkkk126

シュプレヒコール「裁判所はー被爆者のー声を聞けー」

日本では、306人の被爆者が、原爆症の認定を求め、集団訴訟を起こしました。先頭に立つ甲斐さんは、原爆投下直後の広島に軍の命令で入った、残留放射線の被爆者です。

Hbkkk127
【名古屋地裁 2007年1月】

2007年、名古屋地方裁判所で、甲斐さんは国を相手に勝訴しました。

Hbkkk128

甲斐「いや本当に、皆様方のおかげです。本当にありがとうございました!これからも頑張って行きます」
※認められなかった仲間がいる。

*

Hbkkk129
【2008年4月】

Hbkkk130_2

集団訴訟で敗訴が続いた国は、2008年、審査の方針の改正に追い込まれました。残留放射線で被曝した入市被爆者にも原爆症認定の道が開かれました。

*

【南生協病院 名古屋市 2008年6月】

甲斐さんは、裁判の疲れが出たのか、めまいがして倒れるなど、体調を崩しました。

Hbkk5_01

Hbkkk132

その病室に、原爆症の認定書が届きました。

Hbkkk133

申請から11年。提訴から、5年が経っていました。

*

Hbkkk134
【国側が裁判所に提出した書面】

一方、控訴した国との審議は続いていました。

Hbkkk135

甲斐さんの原爆症を認定した国が、法廷では残留放射線の影響を否定し続けました。

Hbkk5_02

甲斐「要するに、日本もアメリカも同じな、同じ立場なんですよ。やることは。・・・同じ立場なんですよ、私の言いたいことは」

国は、認定はあくまで救済が目的であり、残留放射線の影響を公式に認めたわけではないとしています。

アメリカの核実験に対する補償、日本の原爆症認定。その構図は、同じです。

Hbkk5_03
【広島で被爆した 甲斐 昭さん(83歳)】

甲斐「本当にね、日本がね、被爆国だと言うてね、国があるんやったらね、我々のような、私のように、寝たきりの人間こんなんなるんですよと。被爆したらばこういう体になるんですよと、これが被爆なんですよというのを、本当に、全、日本、世界に、示すのが、日本の国の役目ですよ」

しかし、その被爆国日本は、甲斐さんの原爆症を認めながら、残留放射線の影響を、未だ否定しています。

Hbkkk136
【舛添 元厚生労働大臣への取材申込書】

認定書を交付した、舛添元厚生労働大臣に理由を問いましたが、取材を拒否されました。

Hbkkk137
【舛添 要一 元厚生労働大臣】

安藤「名古屋テレビの安藤です。前にも…」

舛添「ちょっと今、時間がない」

安藤「あ、ちょっとですねー・・・あの認定書を交付した原告の残留放射線の影響を最後まで否定されたのは法廷で、なぜなのかその点教えていただけないでしょうか?」

舛添「そ、それ、きちんと、あの…」

安藤「質問状も出してるんですけれど」

舛添「そうですか、はい、ちょっと…」
(行ってしまう)

*

【広島市 2009年8月6日】

Hbkkk138
【麻生 太郎 総理大臣(当時)】

2009年の原爆の日。当時の麻生総理大臣は、原爆症認定集団訴訟の終結に向け、控訴を取り下げると、政治的判断を下し、原告団と合意を交わしました。

Hbkkk139

Hbkkk140
ニュース映像

麻生「(原告団と)合意に至ったということは、まことに喜ばしいことと思っております。早期に、救済するという、新たな方針を決断したものです」

アナウンサー「政府は、集団訴訟の原告306人のうち、一審で勝訴した人は、原爆症と認定し、敗訴した人に対しても…」

Hbkkk141

甲斐さんの勝訴が確定しました。

Hbkkk142

しかし、総理から謝罪の言葉がなかったことに、納得がいきませんでした。

甲斐さん「ほりゃお前14万、十何万もらえるやないかって言われりゃそれまでかもしらんけど、謝って欲しい実際は」

*

Hbkkk143
【フランスの核実験】

Hbkkk144
【イギリスの核実験】

核実験を行ってきた、フランスやイギリスなどでも、実験に参加させられた兵士や市民らが、原爆症の認定を求めて、やはり裁判を起こしています。

Hbkkk145
【名古屋大学 2009年12月】

イギリスから兵士側の弁護士が、広島・長崎の残留放射線について、新しい情報を求めて、日本を訪れました。

Hbkkk146
【イギリスの弁護士 ニール・サンプソンさん】

サンプソン「イギリス政府は誰も(核実験で)被ばくした者はいないという立場。我々は間違っていると言っている。イギリスの核実験に参加した兵士は被ばくし、その結果として病気になった」

Hbkkk147
【旧ソ連の核実験】

Hbkkk148
【アメリカの核実験】

世界で行われた核実験は、2000回以上。大気中の実験はおよそ530回。世界に、死の灰による、残留放射線の被爆者がいます。核兵器を保有する国は、その存在から目を逸らそうとしています。

Hbkkk149

甲斐「国は今まで何をしとったんだっということなんです・・・・・国は何にも認めておらんのです。ま、国が、日本の国が認めないから、世界も認めないんですよ」

*

Hbkkk150

原爆症の認定に使われた計算書は、原子力発電所などで使われる国際的な安全基準の元となっています。2002年版に改正されましたが、死の灰などのデータは、盛り込まれていません。

Hbkkk151
【旧ソ連の核実験】

今、広島の科学者が中心となって、旧ソ連の核実験場で、死の灰の測定が進められています。また広島では、黒い雨の、再調査が行われています。人体に与える放射能の影響を、より詳しく調べるためです。

Hbkkk152

その広島に、甲斐さんは、秋になったらもう一度行きたいと、思っていました。でも、めまいや心臓の動悸が酷く、願いは叶いませんでした。

Hbkkk153

今なお、甲斐さんは、残留放射線の影響を認めない国を、許せません。

Hbkkk154

甲斐「本当にこの、核の怖さというものは・・・・・知らん、知らんですもん。・・・私はいつも言うんですよ本当に、あなた、あなたたちは知らんでしょ、と。そりゃ元気にこう歩、ま、杖突いてでも歩けますからねぇ、みなさんはさ、いいと思ってるけども、本当に発作が起こったときには、わーもうこりゃ死ぬんじゃなかろうかと思いますよ」

Hbkkk155

甲斐「本当に私の人生なくしたんです。私の人生がですね、本当になくなったんです。・・・・・本当にもう・・・・・・・・・・もう、原爆に遭うておらなければ、こうして寝込んでもないし・・・・・・もう元気になりたいですよ。本当に・・・・・」

Hbkkk156

被爆国・日本は、もう二度と、世界に残留放射線の被曝者を作らせないでほしい。甲斐さんの願いです。

 

原爆はまだ、昔話ではありません。

 

Hbkkk157

 

◆ ◆ 終わり ◆ ◆

2012年3月 9日 (金)

『ヒバクコク~切り捨てられた残留放射線~』 文字起こし(3/4)

原爆投下から65年、2010年、広島の平和記念式典に、アメリカの駐日大使が初めて出席しました。

Hbkkk090
【ジョン・ルース駐日米大使】

Hbkkk4_01
【広島平和記念式典 2010年】

「黙祷」

原爆加害国のアメリカにも、残留放射線の被曝者がいます。

Hbkkk091
【アメリカの核実験】

アメリカは、臨海前の実験を含めると1000回を超える核実験を行い、そのうち、215回は大気中でした。冷戦下、ネバダの核実験場では、きのこ雲の下、兵士達の訓練が繰り返されていました。

Hbkkk092
【全米被ばく退役軍人協会 代表 RJ・リッターさん(73歳)】

海軍の兵士だった、RJ・リッターさんは、1955年~56年の実験に参加しました。

Hbkkk093

リッター「高いレベルの放射能が残る爆心地に兵士を進めた目的は、兵士に何が起きるかを確認し、核戦争に備えるためだった」

Hbkkk095

*
 

Hbkkk4_02
【軍の宣伝フィルム】

これは、実験場での兵士の訓練の様子を紹介する、軍の宣伝フィルムです。まず上官が兵士を集め、訓練の安全性を説明しています。

Hbkkk4_03

上官「放射線の半分は爆発から1秒で放出。残りの半分が89秒間に放出されつくす。地上での放射線による危険は、爆発から90秒で終わる」

上官が話しているのは、初期放射線のことです。残留放射線は無視されています。

Hbkkk098

爆心地から2~3km離れた塹壕で爆発を待っていた兵士達は、立ち上ったきのこ雲に向かって突入させられました。

Hbkkk099

Hbkkk100

リッター「ソビエトとの冷戦下、核実験に関する全てが軍事機密。起きたこと全てを話せなかった。後に病気になっても、医師にも家族にも言えなかった。1993年にようやくアメリカ政府は機密扱いを解いたが、被ばくした兵士はすでに30万人死んでいた。秘密を墓まで持っていった」

Hbkkk101

全米被ばく退役軍人協会によると、大気中の核実験に参加した兵士は、およそ52万人です。

Hbkkk4_04_2

*

Hbkkk102
【アメリカ ユタ州】

核実験の爆発で生じた死の灰は、乾いた風に乗り、広い範囲に運ばれました。実験場からおよそ200km離れた、ユタ州のセントジョージ市は、死の灰の汚染地域です。

Hbkkk103
【クラウディア・ピーターソンさん(55歳)】

市内に住む、クラウディア・ピーターソンさんは、幼い頃見たきのこ雲を覚えていました。

ピーターソン「実験場は山のむこう。実験を見るには最高の場所。赤くなって炎があがって、きのこ雲が立ち上がった。家族が実験を子供に見せようと連れて来た。小さな街だが多くの人がこぞって見に来た。(実験を)見損なっちゃいけないと思っていた。安全だと言われていた」

Hbkkk104

山の向こうに、ネバダの核実験場はあります。町には実験場から飛んできた塵が、白い雪のように積もったと言います。

ピーターソン「私の父は脳腫瘍で死亡。私の姉は皮膚がんで36歳の時、6人の幼い子どもを残して死亡。私の末娘は白血病で死亡」

Hbkkk105

ピーターソン「被爆者もネバダの核実験のヒバクシャも、私たちは消耗品扱いなの」

Hbkkk106
【ピーターソンさんの亡くなった姉】

Hbkkk107
【亡くなった末娘】

家族や友人が、がんや白血病に侵され、次々と亡くなっていき、ピーターソンさんらは、実験の影響を疑い始めました。しかし政府は、死の灰による残留放射線の影響を認めませんでした。ようやく補償法が出来たのは、1990年です。

ピーターソン「長い間、政府は実験の影響を否定し続けた。アメリカ政府を起訴したグループもいたが、裁判は政府にとって都合の良い理屈で負けた。政府は国を守るために核兵器が必要だとし、責任を取ろうとしなかった。数年後、いくつかのがんを認め始めた」

Hbkkk108

ピーターソン「亡くなった家族は、私たちに幸せで健康であってほしいと願っている。醜い悪を世界からなくすことを望んでいるに違いない。家族を失って悲しい」

*

ピーターソンさんは、核兵器の廃絶を訴える、平和運動に参加しています。

Hbkkk109
【ジャネット・ゴードンさん(71歳)】

同じ町に住む仲間の、ジャネット・ゴードンさんは、兄をすい臓がんで亡くしました。

ゴードン「私の兄はまだ19歳の時、脱毛し、とても驚いていた。まだ19歳だった兄は、髪の毛が抜けるのが嫌だった。5年後、兄はすい臓がんになり、数年後に死んだ。長年かかって苦しんで死んだ。痛ましかった」

 Hbkkk111

ゴードン「政府が裏切った」

Hbkkk4_05  

ゴードン「私と兄は仲が良かった。すぐ上の兄なの」

*

Hbkkk112
【退役軍人・・・7万5千ドル 汚染地域の住民・・・5万ドル(特定のがんに限り補償)】

アメリカ政府は、特定のがんに限り、兵士や市民に補償をしていますが、病気と放射線の因果関係を認めたわけではないというのが、公式の見解です。

Hbkkk113
【広島大学名誉教授 葉佐井博巳さん】

葉佐井「アメリカは、核兵器を使おうとしているわけですから、それはねぇ、いつまでも残りますゆうようなことを言いませんよ。そんな兵器使ったら大事(おおごと)だよな。世の中ひっくり返りますよ。だから残留放射能なんかないんですよと、言わざるを得んじゃないですか」

Hbkkk114

原爆放射線を第一線で研究してきた、広島大学の名誉教授、葉佐井博巳さんは、アメリカのロスアラモス国立研究所を、1981年から度々、共同研究のために訪れています。研究所は、かつて原爆を開発したところです。葉佐井さんは、広島・長崎の初期放射線量を計算したDS86には、核兵器を開発する側の思惑が影を落としていると指摘します。

Hbkkk115

葉佐井「でこれは、ほぼアメリカの言う通りですよ。アメリカが、初めてスーパーコンピューター使うて、計算で出したわけだから、でそれで、これでいいですか?という日本の実験屋に聴いたら、まあそんなもんでしょうということで、合意してしもうた。ほとんど、残留放射線は問題にしてないんですよ」

Hbkkk116

アメリカが知りたかったのは、兵器として、瞬時に殺傷力を持つ放射線のデータだったと、葉佐井さんは言います。

Hbkkk117

実験では、初期放射線の威力などを確かめるために、動物実験が行われました。

Hbkkk118

その、核の傘に守られる道を、日米安全保障条約の下、日本は選択してきました。

Hbkkk119
【佐藤栄作 総理大臣(当時)】 【岐阜市 1968年】

佐藤「わが国の、懸命なる先輩諸君が、選んだ道、それが日米安全保障体制。そうして、過去20数年間、繁栄、安全、平和のうちの繁栄の路を歩んできた。これは歴史的な実証であります」

Hbkkk120
【非核三原則】

核兵器を、持たず、作らず、持ち込ませず、という非核三原則を1968年に打ち出した、佐藤栄作総理大臣は、その裏側で、アメリカから核の傘の提供を約束させ、核密約を結んでいます。

Hbkkk121
【核密約に関する外交文書】

Hbkkk122

*

Hbkkk123
【中国の核実験】

隣の国の核実験が、日本にとって脅威となっていました。

Hbkkk124
【名古屋大学大学院 特任教授 春名幹男さん】

春名「64年に中国が、核実験やるわけですねぇ。でー、その後、その当時の総理大臣の佐藤栄作さんはですねぇ、えー中国が持ったんであれば、日本も持たないといけないと、いうことをアメリカ側に言うわけですねぇ。それで結局はその、核の傘をアメリカから提供されるという形で落ち着くわけですが、やはりその、中国が核兵器を開発したということが、1つの大きい転機になっているわけですねぇ。それで日本が、えーアメリカの核の傘に依存すると」

Hbkkk4_06
【元国防長官 ジェームズ・シュレジンジャーさん】

シュレジンジャー元国防長官は、常に日本政府は、強い核抑止力をアメリカに求めてきたと言います。

シュレジンジャー「日本政府は公式に核の傘の堅持をくり返し求めてきた。ソ連が崩壊する変化はあったが、中国が核兵器を保有しているので、日本政府は懸念している」

Hbkkk4_07

核の傘に入った、日本政府が、アメリカの核実験に厳しく抗議したことはありません。

Hbkkk4_08

葉佐井「よう言わんじゃない。だって、それは核実験してもらわにゃ困る。抑止力があるって。アメリカの核の下におるから。そうすると核を安全に使うてもらわにゃいけんから、実験してもらわにゃいけん。当たり前ですよ」

◆続く◆

2012年3月 7日 (水)

『ヒバクコク~切り捨てられた残留放射線~』 文字起こし(2/4)

実は、1950年代に、残留放射線による内部被曝の調査が必要だと、指摘されていたのです。

Hbkkk3_01
【広島市】

Hbkkk047
【玉垣医院 院長 玉垣秀也さん】

広島市で医院を開く、玉垣秀也医師は、原爆が投下された時、県外にいて無事でしたが、妹が被爆しました。

玉垣「妹はねぇ、あの、丁度、この広島の市役所の近くでねぇ、小学校で、当時あれだったかな、保険社の仕事かなんかでね、出てきたの。そこでやられたんですよ。だから、市役所の地下室の中にねぇ、2日ぐらい寝てた。ぎっちり、詰まってるの。で、たまたま知った人が見つけてくれて、連絡をして、でこっちから荷車でもってってね、積んで帰ったらしいですよ」

Hbkkk048
【広島市役所(爆心地から約1km)】

広島市役所は、爆心地からおよそ1km。1km以内で被爆した人の多くが死亡しています。玉垣さんの妹は、初期放射線で、急性症状を引き起こしたと見られます。

玉垣「脱毛から、それであの、便は下痢便になりますね。それから顎からの出血とか髪の毛は完全に抜けちゃってね。いうような状態でしたねぇ」

Hbkkk049
【原爆傷害調査委員会】

そうした、被爆者の医学的なデータを集めるために、アメリカは、1947年に、広島・長崎に、原爆傷害調査委員会を設けました。

Hbkkk050

広島の委員会で働いていた玉垣さんは、1950年代、爆発の後に市内に入った、入市被爆者の急性症状を調べています。

Hbkkk051

玉垣「おそらくそのー、原爆後入市した人たちの中で、そのー病気が出た人にね、放射線で受けたと同じような症状が出た人があるという、そういう風な、あの例が、おそらく本部の方に伝わったんじゃないかと思いますよ。だから調べてみようかっていうことになったんじゃないですかねぇ」

Hbkkk052
【原爆傷害調査委員会による入市被爆者の調査結果】

委員会は、8月6日から10日までに市内に入った、消防団長や医師など、1700人に質問状を送りました。

Hbkkk053

Hbkkk054

そのうち、314人から、何らかの症状があったという返事を得ています。

Hbkkk055

さらに、玉垣さんは聞き取り調査を行い、脱毛などの症例を報告しました。

Hbkkk3_02

玉垣「症状は、まあ、妹が受けた症状とおんなじような症状が出たって言われればねぇ私ゃ、ちょっとやっぱりねぇ、そりゃ放射線のせいに違いないと思うし」

Hbkkk056
【原爆傷害調査委員会 統計部長の報告書】

Hbkkk057

Hbkkk058 

委員会の統計部長は、放射能を帯びた埃を吸った内部被曝で急性症状が引き起こされた可能性を指摘。本国アメリカの上部組織に調査の継続を訴えています。

*

Hbkkk059_3
【オークリッジ国立研究所 アメリカ テネシー州 ノックスビル市】

テネシー州に、かつて原爆開発のために極秘に建てられた、オークリッジ国立研究所があります。統計部長の足取りを追っていくと、研究所の科学者に辿り着きました。

Hbkkk060
【立ち入り禁止】

今も研究所には、厳重な警備体制がしかれています。

Hbkkk061

安藤ディレクター「外観を撮影するのは自由だと言われた」

Hbkkk062
【オークリッジ国立研究所 元局長 ジョン・オークシャーさん】

統計部長が入市被爆者の調査結果を持って訪ねたのは、研究所の科学者だった、ジョン・オークシャーさんです。オークシャーさんは、調査を継続する必要性はないと、否定的でした。

オークシャー「戦後は同じような症状を引き起こすものがたくさんあった。特に医師や消防士には。良い質問だが、答えはすでに出ている。医学調査は現在まで続いている。残留放射線については行われていない。なぜなら残留放射線は問題外。影響は全くないから」

Hbkkk063
【ネバダ核実験場 1957年】

オークシャーさんは、1956年から1962年まで、アメリカが極秘に行った「ICHIBAN(いちばん)計画」の責任者でした。

Hbkkk064
【ICHIBAN(いちばん) 1956年~1962年】

"ICHIBAN"は、日本語の"いちばん"です。これは、軍の核実験を利用して、広島の初期放射線の量を推定するために実行されたプロジェクトでした。

Hbkkk065
【広島の初期放射線量を推定】

オークシャー「日本の経験をいかし、被ばく線量と影響との関係についてわかれば、放射線を扱う作業者の安全を守るために制限を設けることができると考えた。放射線の安全基準の基を作ろうと考えた」

Hbkkk066
【ネバダ核実験場】

ネバダの核実験場には、今なお、ICHIBAN計画の跡が残されています。

Hbkkk067

1962年に行われた最後の実験では、大気中の核実験が出来なくなったため、高さ500mの鉄塔に原子炉をつけて放射線を出しました。

Hbkkk068
【ICHIBANに使われた日本家屋】

そして、日本家屋を建て、家がどれだけ放射線を遮るかを詳しく調べました。
しかし、死の灰などからの残留放射線を調べるには、広島とネバダでは、気象条件などが違い過ぎました。

Hbkkk3_03

オークシャー「呼吸や飲食による内部被ばくも詳しく調べた。食べ物は無かったので実際は呼吸によるものだったが、呼吸による内部被ばくの線量は非常に低い」

乾燥したネバダでは、黒い雨は降らず、広島の死の灰に繋がるような結果も得られていません。にも関わらず、入市被爆者の調査は打ち切られ、今日に至ってます。

*

【ニューヨーク・タイムズ(1945年9月13日)】

Hbkkk069
【広島の廃虚に放射能はない】

実は、広島の残留放射線の影響は、アメリカ軍によっていち早く否定されていたのです。

Hbkkk070
【名古屋大学大学院 特任教授 春名 幹男さん】

日米関係に詳しい、名古屋大学大学院の特任教授、春名幹男さんは、原爆投下の正当性を主張するためだったと言います。

春名「非人道的だとか、色んなことを言われたくない。ともかく、その、広島に落とした、広島と長崎に落とした原爆というのは人道的だったというのが、今でもアメリカの公式のヒストリーなんですよ」

Hbkkk071
【日本軍による真珠湾攻撃(1941年)】

日本が始めた戦争を早く終わらせた原爆は、多くの人命を救った、というのがアメリカの立場です。

一方日本政府は、広島の原爆投下2日後の8月8日の日付で、アメリカ政府に対し、非人道的な兵器の使用に激しく抗議。

Hbkkk072
【日本政府による抗議文(1945年8月8日)】

赤十字国際委員会にも訴えています。
「交戦者、非交戦者別なく、無差別に殺傷。国際法を無視。非人道的兵器の使用を放棄すべき」

Hbkkk3_04

 

*

 

Hbkkk073
【物理学者 仁科 芳雄さん】

大本営の要請を受けた、物理学者の仁科芳雄さんを初め、大学や軍の調査団が次々と広島に入り、被害の実態を調べました。

Hbkkk074

仁科さんが採取した砂は、今なお、貴重な研究材料となっています。

Hbkkk075

医学的な調査も行われました。

Hbkkk3_05

Hbkkk3_06

軍の報告書には、8月6日に爆心地付近に入った人の白血球の数が、通常7000~8000に対し、2300~5000に減少したと、残留放射線の影響を記しています。

Hbkkk3_07
【ニューヨーク・タイムズ(1945年8月25日)】

Hbkkk3_08
【広島の復興作業員が様々な病気になったり健康を害している】

日本のラジオが、広島の復興作業をする者が、様々な病気になったり健康を害していることを伝えているとニューヨーク・タイムズが記事にしました。

Hbkkk076

原爆の開発計画の総責任者は、レスリー・グローブス将軍でした。

Hbkkk077  

記事に困惑した将軍が、オークリッジ国立研究所の医師にかけた、通話記録が残っています。

Hbkkk078

健康そうな広島の復興作業員の白血球数が通常7000~8000のところ、3800に減少。

Hbkkk079

このことは同情を引き、我々にとっては傷、ダメージになる。

Hbkkk080
【グローブス将軍 ファーレル准将】

将軍の片腕、ファーレル准将は、調査団長として日本に乗り込みました。

Hbkkk081

そして、9月6日と12日に、東京で会見を開き、残留放射線の影響を完全に否定。

Hbkkk082
【ハリー・トルーマン大統領】

さらにアメリカ政府は、原爆被害の報道を封じました。

Hbkkk3_09

春名幹男「広島・長崎で、相当残酷なことになったわけですけれども、やはり人道的だったというね、えー、公式の歴史を作らなければならないので、ま残留放射能についても、あのー出来るだけ否定したかったんじゃないかと思います」

*

Hbkkk083
【核実験トリニティの報告書(1945年7月)】

グローブス将軍が日本の情報に危惧したのは、逆に死の灰の危険を既に知っていたからだと思われます。

Hbkkk084

原爆投下前の世界初の核実験で、軍は、死の灰から出た残留放射線の量を測定。

Hbkkk085
【空気中に(大量の)死の灰が漂っている】

Hbkkk086
【(砂漠地帯に)深刻な健康被害を及ぼす死の灰】

そして、空気中や砂漠地帯に大量の死の灰が漂い、深刻な健康被害を与えるだけの残留放射線が検出されたと報告しています。

*

アメリカで核政策を推し進めているのは、エネルギー省です。

Hbkkk3_10
【アメリカ メリーランド州 タコマパーク】

クリントン政権で、エネルギー省長官の上級政策顧問を務めた、ロバート・アルバレスさんを訪ねました。

Hbkkk087
【エネルギー省長官 元上級政策顧問 ロバート・アルバレスさん】

アルバレス「冷戦下の政策を練っていた軍や官僚は、1940年代、50年代、60年代、その後においても、死の灰が危険で、いずれ人々を冒すことを認識していた」

アルバレスさんは、核兵器を開発する組織の、隠蔽体質を指摘しました。

アルバレス「特に核に関する科学の分野は軍と密接な関係にあり金も潤沢に使えた。科学者は軍のための存在になっていた。この組織では、リーダーが『死の灰の危険は無い』と言えば、グループの考えとなり、公的な見解となる。逆らう物は経歴を失い孤立させられる」

Hbkkk3_12

広島の残留放射線の影響を否定したアメリカは、自分の国の兵士や市民をも、その危険にさらしたのです。

Hbkkk088

◆続く◆

2012年3月 6日 (火)

『ヒバクコク~切り捨てられた残留放射線~』 文字起こし(1/4)

Hbkkk001

*

Hbkkk2_01
【原爆投下 1945年8月】

1945年8月、アメリカが、広島・長崎に投下した、原子爆弾。

Hbkkk002

死の灰、黒い雨による、残留放射線の影響を、日本は否定し続けてきました。

Hbkkk2_03

当時、海軍の兵士だった、甲斐 昭さんは、原爆が落とされた直後の広島に、救援活動などで駆けつけました。

Hbkkk2_02_2
【広島で被爆した 甲斐 昭さん(83歳)】

甲斐「被爆したならば、こういう体になるんですよと、これが被爆なんですよというのを本当に、全、日本、世界に、示すのが、日本の国の役目ですよ」

Hbkkk004

原爆の爆発の後に市内に入った甲斐さんは、入市被爆者と呼ばれ、被爆者健康手帳を持っています。

Hbkkk2_04

にもかかわらず、国は、甲斐さんがほとんど被曝していないと言います。

Hbkkk2_05
【死の灰】

入市被爆者を待っていたのは、死の灰。残留放射線でした。

*

Hbkkk005
【佐藤 栄作 総理大臣】

佐藤「わが国の、懸命なる先輩諸君が、選んだ道。これが日米安全保障体制」

Hbkkk006
【元国防長官 ジェームズ・シュレジンジャーさん】

シュレジンジャー「日本政府は公式に核の傘の堅持をくり返し求めてきた」

Hbkkk007
【核の傘】

日本は、原爆を投下したアメリカの、核の傘の下にあります。

そのアメリカにも、核実験による残留放射線の被爆者がいます。

Hbkkk2_06

軍は、兵士をきのこ雲に突入させる訓練を、繰り返し行いました。

原爆を落としたアメリカ。被爆国の日本。共に、残留放射線の影響を、認めていません。

Hbkkk008
【ヒバクコク ~切り捨てられた残留放射線~】

*

Hbkkk2_07
【広島で被爆した 甲斐 昭さん(83歳)】

甲斐「ようあの8月6日に入ったなと、私にいつも言われますよ。うん、本当私は8月6日に入ったんですから。嘘も何にもない。8月6日の8時15分 の第1課業が始まった時…始まろうとした時に、ピカッー!と光ったんですから。そして、あれから、30分くらいしてから分隊長から、今から広島の方に救援 に行くというので、トラックに乗って、20名がトラックに乗って行ったんです」

Hbkkk2_08
【名古屋駅 2005年】

甲斐さんは、愛知県知多市に住んでいます。
原爆投下から60年目の、2005年、広島に向かいました。

Hbkkk009

自分が被爆した道を、初めて辿りなおしてみることにしたのです。

Hbkkk2_09
【広島に原爆投下 1945年8月6日】

アメリカが広島に原爆を投下したのは、1945年8月6日午前8時15分。

当時18歳だった甲斐さんは、海軍の潜航艇に乗るため、広島県の当時の大野村で訓練を受けていました。

Hbkkk010

大野村は、爆心地からおよそ20km離れています。原爆の放射線の影響が、全く無いところです。

Hbkkk011
【広島市 西区(当時の己斐駅)】

広島市の西のはずれ、かつての己斐(こい)駅まで軍のトラックで到着したのは、午前11時頃だったと、甲斐さんは記憶しています。

市内の道路は瓦礫で塞がれていたため、トラックが入れず、電車道を歩きました。街は、なおも燃えていました。

Hbkkk2_10

目指していたのは、繁華街にあった銀行です。騒動に紛れて金が盗まれないよう、警備を命じられていたのです。

落とされたのが、原爆だとは知りませんでした。

Hbkkk012

広島は、一瞬にして廃墟と化しました。

Hbkkk013

その年の暮れまでに、14万人が亡くなったとされています。


Hbkkk014

銀行は、原爆ドームの先でした。

Hbkkk015
【被爆者が描いた絵】

橋が焼け付くような暑さで渡れず、甲斐さんたちは川底を歩き、流れてくる遺体の中から、まだ息のある人を引き上げる作業を行いました。

Hbkkk2_11

*

Hbkkk017
【甲斐さんが警備を命じられた銀行付近】

ようやく銀行に辿り着いたのは、日没頃でした。

Hbkkk2_12

Hbkkk018

Hbkkk2_13

*

Hbkkk019

8月6日の、甲斐さんが辿った道です。
原爆の影響のない、およそ20km離れた村から、爆心地目指してひたすら突き進んだことになります。

*

【広島に投下された原爆】

Hbkkk020
【初期放射線 原爆から直接出る】

原爆の爆発から1分以内に出た放射線を、初期放射線と言います。

Hbkkk021
【残留放射線 初期放射線を受けた地面、建物などから出る】

Hbkkk022
【残留放射線 「黒い雨」「死の灰」など放射性降下物から出る】

初期放射線を受けた、地面や建物、そして、黒い雨、死の灰と呼ばれる、放射性降下物から、残留放射線が出ました。

爆発の後に駆けつけた甲斐さんは、初期放射線を浴びていません。残留放射線の被曝者です。
しばらくして、身体に様々な異変が現れました。

Hbkkk023

甲斐「歯ぐきから血が出る。それからもう…、こうに毛が抜けるねこうやれば、毛がぼろぼろぼろぼろ毛が抜ける、なんやこれなんでこんな毛が抜けるんじゃろうかな、としか思わんですよ。もう、被爆で、被爆したから歯から血がね、歯ぐきから血が出る、脱毛するわ、物が食べられんわ、何をする下痢はする、するなんていうことは、初めはわからんです、我々は」

 

Hbkkk2_14
【放射線による急性症状 脱毛・歯ぐきからの出血・下痢・白血球数の減少など】

Hbkkk2_15

脱毛・歯ぐきからの出血・下痢・白血球数の減少などは、初期放射線を浴びた人たちに生じた、急性症状と、同じ症状です。

*

Hbkkk2_16
【南生協病院 名古屋市 緑区】

甲斐さんは、戦後、病院と縁が切れたことはありません。

Hbkkk2_17
【入市被爆者】

原爆の爆発の後に広島市に入った甲斐さんは、入市被爆者と呼ばれています。

Hbkkk024

甲斐さんは、戦後、甲状腺の悪性リンパ種などで、13回の手術を繰り返し、53歳の時、甲状腺の右半分を摘出しました。言葉が少し聞きづらいのは、手術の後遺症です。

*

Hbkkk2_18
【愛知県 知多市】

Hbkkk025

甲斐さんは、1人で暮らしています。生まれ故郷は福井市ですが、戦後、病気で定職につけず、各地を転々としてきました。1997年、甲状腺を摘出した後の症状で、原爆症の認定を申請しました。認定されると、月およそ14万円の医療特別手当を支給されます。

【医療特別手当 月額 約14万円】

Hbkkk027
【国からの却下通知】

しかし、国から返ってきたのは、病気が原爆の放射線によるものだとは認められないとする、却下の通知でした。

Hbkkk026_2

当時、認定の審査会は、残留放射線による原爆症を、認めていませんでした。

Hbkkk2_19

Hbkkk028

甲斐「60年間、私たち被爆者を、今まで苦しめてきました。まだ、厚生省は、我々被爆者を苦しめるのか!」

Hbkkk2_20

【2003年 原爆症認定を求め国を提訴】

甲斐さんは、2003年に、原爆症の認定を求めて、入市被爆者として初めて国を提訴。被爆者306人による、集団訴訟が始まりました。

Hbkkk029

【名古屋地裁】

裁判では、甲斐さんが経験した脱毛などを、放射線による急性症状とみなすかが、大きな争点となりました。

Hbkkk030
【国側が裁判所に提出した書面】

Hbkkk031

国は、残留放射線を浴びた量、被曝線量は少なく、急性症状は起こりえないとし、甲斐さんの症状は、不衛生な環境による感染症、もしくはストレスによるものだと主張しました。

*

Hbkkk032

【広島大学 原爆放射線医科学研究所 元所長 鎌田(かまだ)七男さん】

鎌田「じゃそういう事実があったのか、ですよ。赤痢ちゅうんだったら赤痢があったんかって。それこそ厚生労働省にそういう書面残ってるわけじゃないの、軍隊に残ってるわけじゃないの。そんなこと1つもないでしょ、書いてないでしょ?」

鎌田七男さんは、広島大学原爆放射線医科学研究所の所長でした。しかし、集団訴訟が起きるまで、入市被爆者の原爆症について顧みたことがありませんでした。

鎌田「入市っていう、概念も、科学者の中にはそういう視野に入ってなかったということはもう、明確に言えますねぇ。で、その視野を持ってなかったというのは、科学者の怠慢というか、ま、そういう風に、言われても、私はその言葉に甘んじます。でも、でも、それ以後は、これはしっかりやらないといけないなという、事を、今も信じてやってます」

Hbkkk2_21
【陸軍による医学調査の報告書】

鎌田さんは、原爆投下直後に、日本の科学者や軍が広島で行った調査を、見直しました。

Hbkkk2_22

Hbkkk2_23
【爆心地から五百メートル圏内に入った者に、白血球減少症(二三〇〇~五〇〇〇)】

そこには、8月6日に、爆心地から500m圏内に入った人の白血球の数が、通常7000~8000のところ、2300~5000に減少したと書かれていました。

鎌田「入市被爆者に、放射線の、被曝があったということは、当時の軍隊の資料から見て、明らかだと、いうことなんだ白血球の減少がある。強いからね。うん」

Hbkkk034

鎌田さんは、白血病を発症した、およそ3900人の被爆者の記録から、入市被爆者白血病の染色体を調べなおしました。

Hbkkk035
【入市被爆者白血病患者の染色体】

この患者は、8月6日に爆心地から1.8kmの地点に入っています。

Hbkkk036

○で囲った染色体に異常が見られました。

Hbkkk037

1番から3番は、2本の染色体が並ぶ、正常な形です。

Hbkkk038

放射線は染色体を切断します。点のように見えるのは、ちぎれた染色体の部分。4番の染色体は切断されています。

Hbkkk039

8月6日に入った入市被爆者に、白血病の増加が見られたことから、残留放射線の影響が強かったという結果を、鎌田さんは得ました。

鎌田「残留放射線はないよっていう、その科学的な常識が、ずーっとあったわけですよ。私もその中の1人としてそれを信じておったわけですよ。でも、一旦そのこれはおかしいっていうふうに気が付いて、あれやらこれやらこう見ていくと、腑に落ちないところがいっぱいいっぱい出てくるわけですよ」

Hbkkk040
【被爆者が描いた絵】

Hbkkk041

残留放射線を出す、黒い雨を飲んだり、死の灰を吸い込むと、内部被曝の原因となりました。裁判で甲斐さんの側は、脱毛などの症状は、深刻な内部被曝によるものだと主張しました。

*

Hbkkk042
【被ばく線量評価システム DS86】

一方、残留放射線の影響はほとんどなしとする国の拠り所は、被爆者が浴びた初期放射線の量を計算した、DS86でした。日米の科学者が1987年に公表しました。

Hbkkk043

残留放射線は計算していないと但し書きがされ、死の灰による内部被曝をこれで推し量ることは出来ません。

Hbkkk2_24
【被爆者代表から要望を聞く会 広島市 2006年】

しかし、国は、原爆症の認定審査に、DS86を使う正当性をこう主張しています。

Hbkkk2_25
【厚生労働省 健康局長(当時)中島正治さん】

中島「審査会が用いております、被ばく線量の評価システム、につきましては、国際的にも認められたものでございまして、また放射線と疾病の因果関係につきましても、国際的に広く認められた知見、というようなものを元に審査を行っていただいてるところでございます。ま、このように、原爆症の認定につきましては、私どもとして、科学的に適正に行っていると、いう認識を持っておりまして、現在このあり方については、この方法以外にないのではないかという風に考えているところでございます」

甲斐さんは、そんな国の有り方が納得できませんでした。

Hbkkk044

甲斐「被爆したならば、こういう風になるんだよ、と。一生続くんだよと・・・・・・・・放射能をね、放射能をですね、1回浴びるか吸う、身体の中に内部被曝なればこうなるんだよと、ゆうことをね、研究してもらったならばですね、本当に、やって欲しいです、ほしいです、私は」

◆続く◆

2012年3月 4日 (日)

『ヒバクコク~切り捨てられた残留放射線~』 文字起こし、予告

次回記事より、2011年12月26日、テレビ朝日で放送された、「ヒバクコク~切り捨てられた残留放射線~」を紹介します。

これは、2010年5月28日に放送された名古屋テレビの番組「隠された被爆 ~残留放射線の闇~」の再校正版です。ディレクターの安藤則子さんのコメントをまず以下に転載します。

被爆国に問う ~切り捨てられた残留放射線~

 

「原爆投下後の広島や長崎に、救援活動や家族を探すために入った人の中にも、原爆症で亡くなった人がいる。」被爆者の証言集には、そうした実話が収められています。だから、原爆の放射線はじわじわと長く人を傷つけるものだと、私は思ってきました。ところが、原爆症認定集団訴訟の取材を通して、国が全く逆の考え方をしてきたことを知りました。爆発から1分以降の残留放射線に影響はないとして原爆症の申請を却下し、法廷では、被爆者を指して「ほとんど被曝していない」とまで主張しました。
この発言には驚き、内心、怒りを感じました。被爆者の証言の中に真実を探す姿勢が、国になかったからです。

残留放射線の影響を公式に否定したのは、原爆を開発したアメリカです。アメリカは、原爆投下前に残留放射線のリスクを知りながら、自国の兵士や市民をも核実験で被ばくさせました。そして、その核の傘の下に日本はあります。

今回、否定の裏側を知りたくて、アメリカを取材しました。アメリカでは、元国防長官から核実験を随行した科学者にいたるまで、カメラの前での証言を拒みませんでした。ところが日本では、前厚生労働大臣、官僚、国側の科学者の全てが「多忙」を理由に取材を拒否。私の力不足ではありますが、忸怩たる思いでいます。

原爆症認定集団訴訟は、被爆者側の全面勝訴で幕をおろそうとしています。訴訟は、60年余りの時を経て、残留放射線の問題をよみがえらせました。その影響を認める新しい発見もなされています。しかし、まだ残留放射線の多くが未解明です。「国は今まで何をしていたのだ」と被爆者が番組の終わりで怒ります。「日本が認めないから世界が認めない」核実験による残留放射線の被ばく者は、世界にいます。その影響を明らかにしていくことは、被爆国の被爆国たる役割ではないのでしょうか。

(以上)



原発と原爆を絡めて話すことを否定される方もおられますが、これを見ると、低線量被曝の人体への影響を頑なに認めない学者や行政の問題が、世界的に存在し、核兵器と切り離せない事情であることがわかります。

戦後ずっと闘ってこられた方々がいます。我々の闘いは、始まったばかりです。

なお、音声で「ひばく」と言っている場合に、「被爆」と「被曝」のどちらか判断が難しい箇所がいくつかありました。自分なりに考えて選択しましたが、間違っているかもしれません。さらに、字幕では「被曝」は「被ばく」となっていますので、あらかじめご了承ください。

それでは、次回より、少しずつ更新していきますので、よろしくお願いいたします。

2012年2月15日 (水)

大飯原発 ストレステストから再稼動への流れ サンデーモーニング

TBS サンデーモーニング 2012年2月12日放送

大飯原発のストレステストから再稼働への流れについて、分かりやすく解説してしましたので、ここにまとめます。

Ooist1

今回、審査書が取りまとめられたのは、ストレステストの一次評価のものです。

どれぐらいの規模の地震・津波が起きるとメルトダウンしてしまうのか、その最大値を調べたもので、今回大飯原発3・4号機についてはこういった数字が出ています。

Ooist2
地震動1260ガル 津波11.4m

しかし、これを超えた場合というのは計算していないんですね。これを計算し、何が起きるか推測、対策を考えるのは、二次評価で行うとしています。

ヨーロッパのストレステストですと、対策に生かすところまでで1つのストレステストになっているのですが、今回日本のストレステストというのはこのように、一次評価二次評価と分かれていて、一次評価が再稼働の条件としているのには、早く審査を通して再稼働をするためではないか、という声が上がっているんです。

これに関して原子力安全・保安院は、何故2段階の設定となったかは、『申し上げる立場にない』としています。何故ならこのストレステストが決まったのは、菅・前総理の時代のことだから。そしてその時の政治判断で2段階に分けられたから、それを根拠としているんですね。

で、このストレステストとは別に、福島の事故の分析と対策を今検討中なんですが、それは反映せずに一次評価を妥当と、審査書を取りまとめてしまったんです。

Ooist3

で、その後、こういった流れ、手続きを経て、再稼働する予定になっています。

2012年2月14日 (火)

茨城 復興シンポジウム「風評被害にどう立ち向かうか」 抜粋

2012年2月…震災から11ヶ月経ち、原発事故による放射能汚染が懸念される食品の暫定規制値も、4月から見直されるという話がある中放送された番組を紹介します。まだこんなこと言ってるのか、と思いますし、怖がる人は馬鹿、悪人といわんばかりの話の展開に腹が立ってしょうがありません。
特に気になる部分をピックアップして文字起こししましたので、放射線防護のためには役に立たないと思いますが、現状を把握するために、お時間ございましたら読んでみて下さい。

▼で区切った前後に繋がりはありません。

 

◆◆◆◆◆文字起こし始め◆◆◆◆◆

 

Op

【茨城県立図書館 水戸市 2011年11月13日】

茨城県内のメディア3社で作る、「茨城 魂!」プロジェクト主催のシンポジウムが開かれました。テーマは、風評被害にどう立ち向かうか。様々な分野の有識者がパネリストとして登壇し、来場者も交えた活発な討論が行われました。

パネリストをご紹介します。

Tauchi
茨城大学理学部教授の 田内 広(タウチ ヒロシ)さん
被曝と発癌リスクを研究する、放射線の専門家です。

Kakurai
茨城県農協五連会長の 加倉井 豊邦(カクライ トヨクニ)さん
農業生産者の代表として参加します。

Watanabe
北茨木市にある旅館の女将 渡辺 十九夜(ワタナベトクヨ)さん
観光業の現場が直面している現状を伝えに来ました。

Matsunaga
科学ライターの 松永 和紀(マツナガ ワキ)さん
風評被害の背景を消費者の立場から捉えています。

Hashimoto
茨城県知事 橋本 昌(ハシモト マサル)さん
行政責任者の立場から参加します。

Ose
コーディネーターを務めるのは、農林水産業が専門の、合瀬 宏毅(オウセヒロキ)解説委員です。

 


Matsunagaface 松永「最初の頃の消費者の、思いっていうのを今、あのぉ…、思い返してみますとぉ、えー、最初は、わー大変だ、も大変な事が起きたと、でーこの人たちをなんとか応援しなくちゃという気持ち、みんな、あのそんな気持ちになったんだと思うんです。ところがその後にーあのー原発の事故がありましてぇ、その後はもうわからないことだらけだったと思うんですね。色んな、あの知らない今まで聞いたこともない言葉、シーベルトとかベクレルとか、えー色んな言葉が出てきて、で次から次へとあのー出荷制限とかそれからま、それから原発自体の、あのー状態も非常に不安定な中で次から次へと色んな情報が出てきて、とにかく理解が追いつかなかったと、もう混乱してしまったと、さらにあの理解を促すための情報がやっぱり足りなかったということが非常に大きかったと、思いますね。で、もう1つはやっぱりマスメディアの週刊誌等の、行き過ぎた報道っていうのもありましたし、それからあのぉ…今回の災害はインターネットの影響っていうの非常に大きくて、あのツイッターなどで、あの間違った情報デマに近いような情報が拡散してしまったと、いうようなこともありましたので、とにかく消費者は、大混乱、あの、誰かとにかくきちっと話を整理して下さいと、それからあの産地の状況とかをですねぇ、今、まさに何が起きてるか正しいところ、あの、てきs、あのー、ま、間違ってない嘘でない本当の真実を見せてくださいという気持ちが消費者の、現状ではないかなというふうに思います」

 


Hashimotoface 茨城県知事「ま一旦うちへ来ていただけば、それなりに、あこんな状況かいうことで、口コミで広がっていくんじゃないかと期待をしております。なかなか、オフィシャルなアナウンスメントやっても信用してもらえない。これはやはり、現実に来てもらう、そして、みなさんがブログでもなんでも書いてもらう、というのが一番大事なことなのかな、という感じを持っております」

 


Tauchiface_2 田内「…略… で問題は内部被曝。これはあの実は、求めることは出来ません。これはもうあくまで、試算なんですけども、えー実はチェルノブイリ事故の時の、えー住民の被曝調査というの行われてまして、そこからわかっていることは、内部被曝の増加っていうのは外部被曝の増加と同じか、それより少ない方がほとんどだということが、えーわかっております。ですから、高めに見積もって、内部被曝も、えー外部被曝と同じだけ増えるというふうに仮定すると、えー先ほどの[0.41]ですねこれが[0.55]に変わる。全部足していきますとラドンっていうのは変わりませんので、足せば[1.7]ということになります。そゆ意味では、あの平常時の[1.4]っての引けば、え事故による、私の過剰被曝は、[1.7]-[1.4]の[0.3]になると。つまり[1]にはならないということが、えーここでおわかりいただけると思います」

 


Matsunagaface_2 松永「今までの、あのー…検査の話からいくと、まあこれは、その、問題報道というよりも、もうマスメディアの持ってる特性という部分があるのかもしれないですけれども、あの、問題のものあるだけ、ものだけ報道すると。あのー何万検体と、えー測っていて、えーほとんどが、えー不検出検出限界未満ですよ、とか非常に低い数値ですよというような、そのほとんどは報道しないで、非常にめずらしい物を、あの報道してしまうっていうのはやっぱりあのマスメディアの特性、ですね。それと、えー、消費側もですね、あまりにも沢山情報があってもう混乱する中で、もう…わからない!えい!とゼロじゃなきゃ!という、消費者の心理というのがあって、えー、ゼロ志向、そして今もずっとそのゼロ志向がますますちょっと強くなってる、というような気がします」

 


Matsunagaface_3 松永「あのー、えー、それと他国との比較、でぇ、高いの低いのっていうようなことが、言われてしまってそこでもやっぱり誤解を生んでしまったというところがあるように思いますあの、よく比較されるのあの、ベラルーシ、チェルノイリ、チェルノブイリの原発で、あの大きな被害を受けたベラルーシと比べて、高いんだと。あのベラルーシよりも、この基準値が高い、日本はとんでもない国なんだと。あの甘いということですね、高いということは基準が甘いということで、とんでもない国なんだ、というふうに、あの、おお、割と多くのマスメディアが報道してしまったんですけれども、調べてみると、そのベラルーシの基準ってのは9、1999年に定められてると、直後はもっとうんと日本よりもうんと高くてだんだん下がってきて、決まった数値と、この数値を比べて高いの低いのと言ってたような週刊誌等もあったんですねぇで、やはり勉強不足と、それから、脅かしてやろうと言うか、不安にさせた方が、マスメディア売れる、あの部数が伸びる、視聴率が上がる、そういう方向性があるので、やはりマスメディアの、あのー、この基準値における、もん、基準値の報道放射能リスク、放射線リスクにおける報道っていうのは、かなり問題があったなぁと…」

 


来場者「えーと現在のこの風評被害というのの一番の元凶は、マスコミの報道にあると思っております。先ほどから、500ベクレル200ベクレル盛んに出ております。これを本当に理解してる人、方、あるいはマスコミの報道の方、どれくらいいらっしゃるのかなあと私非常に心配です。500ベクレルの米で、毎日200グラム、1年間、食べて、何ミリシーベルトになるか、本当に分かる方、どれぐらいいらっしゃるんですかねぇ?」

Matsunagaface_4 松永「確かに、えー規制値の意味、あの、規制値、えー、き基準値を超えたっていうことは、実は摂取量、を考えてきちんと計算しないと、体への影響っていうのは出てこない。えー…それを、あのー今ご質問された方はきちっと量を、考えてけい、あのーえー計算すると大したことないじゃないかと、もう全くその通りなんですね。ところが、あのー、メディアは、えー多分理解していない人がかなり、の数いる、 どうでしょうか合瀬さん。 ははっ(笑) 
Smile1
Smile2
正直かなりの数いるのかなあと、それとまあ法的には、あのー量のもん、えーどのくらい食べるかっていうことは問題でなく、あのー基準値を超えるか超えないかっていうところで、法的な規制が行われますので、そこでその科学からですねぇ、その法的な規制っていうところに目が、あのー移ってしまって、本質的な科学的な意味をーえーマスメディアの記者っていうのが、ちと考えられなくなってる知識も足りなくてー、そこの報道が出来なくなってるっていう問題はもう非常に大きくあるというふうに思います」

 

◆◆◆◆◆文字起こし終わり◆◆◆◆◆

 

いかがですか?

多くの方が、このような論理で固まっているようなので、論破できるくらいのことを頭に入れておくといいと思います。

NHKでは、おそらく意図的に「暫定基準値」という言葉を使いますが、本来は「暫定規制値」です。
安全基準に適合している数値ではなく、政府が規制をかける数値です。

そして、暫定規制値は、生産者の生活を守るためではなく、消費者の身体を守るために運用する数値です。

この数値を基準として、「食べて応援しよう」と言うのは、完全に間違いなのです。

2012年2月 9日 (木)

福島県 双葉町 町長から、全国の原発立地地域の方々へ

先日、TBSサンデーモーニングで放送された映像をご紹介します。

東京電力・福島第一原子力発電所が立地している、双葉町の井戸川克隆町長が、1月30日、国会の事故調査委員と避難住民との意見交換会で話されたことです。
原発を今後どうするか考える時に、避けては通れない、避けてはいけない問題です。

非常にシンプルな問題ですが、経済、国防、雇用、電力、など、原子力発電について考える時に雑多な問題に捉われて、一番大切なことを忘れがちです。何度も思い出しましょう。

 

◇◇◇◇◇文字起こしはじめ◇◇◇◇◇

 

Futaba01

多くのあのー・・・ま、国民の皆さんがですね…

Futaba02

原発を誘致しておいて、あんなに交付金をもらって…いい思いをして

Futaba03

なんだ今頃放射能はいらないとはなんだとお叱りを受けるんですね。

Futaba04

確かに交付金を頂いていろんなものを整備しました建てました作りました。

Futaba05

でそれ以外に失ったものは膨大ですね。
先祖伝来のあの地域、土地を…う…失って、全てを失ってですね…

Futaba06_3

これをぜひあの全国の(原発を)立地のされている方には、見に来ていただきたい。

Futaba07_2

あの目を閉ざさないで、現実を見に来ていただきたいと思います。

 

◇◇◇◇◇文字起こし終わり◇◇◇◇◇

 

日々、問い直してください。

再び起こるかもしれない、この事故を、あなたは許容できますか?




 

2012年2月 1日 (水)

児童文学者・椋鳩十さんから、考える現在・未来。

原発とその周囲を取り巻く環境について考えてると、単純に放射能の危険や経済問題だけでは済まなくなってきます。そして、突き詰めていくと、日本が、世界が、人類がどこに向かっているか、ということが気になってきますね。

先日テレビ放送された、児童文学者・椋鳩十(むく はとじゅう)さんを紹介する番組が気になって、ある意味現状と同じことを言っているのではないか、と思い文字起こししました。

原発とは直接関係のない話題ですが、特に真ん中辺の戦争と文学の関係についてなど、興味深いものです。
よかったら読んでみてください。


◆◆◆◆◆以下文字起こし◆◆◆◆◆


NHK映像ファイル あの人に会いたい「椋鳩十(児童文学者)」

Mhj01

椋「イノシシとかね、クマなどはもう最も好きな動物のひとつですなぁ。というのはねぇ、あのー、人間との関わり合いの密度が濃い、イノシシとかクマとかいうのは、いわゆる狩人と。それから、全部彼らはねぇ、物語を背負って登場してくる」

【児童文学者 椋鳩十 1987(昭和62)年 82歳没】

子供向け動物文学の作者として知られる、椋鳩十さん。

Mhj02

母グマが、命がけで子グマを助ける物語、「月の輪グマ」そして、「片耳の大シカ」「孤島の野犬」など、日本における本格的な動物文学のジャンルを切り開きました。

Mhj03

椋鳩十、本名、久保田彦穂さんは、明治38年、長野県天竜川沿いの村に生まれます。

父親が牧場を営んでいたこともあり、大自然の中で様々な動物たちと共に育ちました。

椋「庭続きが山だからね、南アルプスと中央アルプスの間の谷間ですからね。だから遊ぶと言えばねぇ、ほとんどもう山遊びが多かったねぇ。学校から帰るとすぐ、もう飛び出して山に行った。そして道だってねぇ、人がほとんど通るような道でないでしょ。だからそういうとこでねぇ、かげ、あの夕方になると"影ふみ遊び"というのやる。おなかがすくと家とっととっと駆けてく」

Mhj04

文学に目覚めたのは、中学に入ってから。国語と英語、2人の先生との出会いがきっかけでした。

Mhj05
【佐々木八郎先生(国語)】

Mhj06
【正木ひろし先生(英語)】

梅沢アナウンサー「どんな先生だったんですか?」

椋「2人ともねぇ、授業時間にねぇ、何か出てくるとちょっと脱線してはねぇ、すばらしい話をしてくれるんだ色々。人生論を語ってみたりね文学論を語ってみたりねぇ、そういう先生だったからねぇ、お願いしてねぇ、毎日ひとつ放課後にねぇ、講義をしてくれんか、なんでもいいから。そしたら「よし」というわけ、まだ若い先生だから引き受けてくれてねぇ、毎日毎日話を聞くでしょ。本を素晴らしい本を読んでもらうでしょ。毎日感動だからねぇ、だから、学校は出来なかったけど学校行くのは楽しくて楽しくてたまらなかったねぇ」

昭和5年、法政大学国文科を卒業。鹿児島で教員生活を送る傍ら、28歳の時、自由奔放に暮らす山の民を描いた小説を発表します。

Mhj07
【発売禁止になった「鷲の唄」】

作品は、里見弴や大宅壮一などに絶賛されますが、発売禁止処分になってしまいます。

椋「あの、だんだんだんだん、あの戦、が、こう、激しくなってくるにしたがってねぇ、思想統一しなければ戦が出来なくなってくる」

Mhj08

椋「思想統一の前に何がくるかというと、言論統制なわけ」

Mhj09

椋「ところが私はね、自由放浪の民を扱っていた。そして、自由というのはいかにね、人間にとって楽しいものか。うん、人間の心を伸びやかにするものかというものを物語に書いてたから、そういうものがねぇ、やはり統制に触れちゃって書けなくなったの」

Mhj10

椋「それで、やめようと思っているところ、子供のものを書いてくれんか、そう言ってきたんです。ところが子供のものでも、統制にかかるわけ」

Mhj11

椋「それで、あれ、動物にことよせてね、書こうと思った。特に戦が激しくなってくると、これは死を賛美しなければ戦は出来ない。死の賛美。そして、生きることなんていうことはねぇ、ひきょうだと、考えられている」

Mhj12

椋「だから私は、動物の習性にことよせてねぇ、生きることの美しさ、生きることの意義、そういうものを書こうと思った」

動物を描くことで、命の尊さを訴えたい。
椋さんは、動物の生態を調べるため、全国を旅しました。
代表作、孤島の野犬では、野生化した犬を見るため、鹿児島県の島に何度も通いました。

椋「毎月、(聞き取れず)、3年ばっか通ったけど見られないの。見なければ、どうも書く気がしなくてね、そして、3年目の年だったかねぇ、あたりがだんだんだんだん暗くなってきた時に、対岸でねぇ、何か光るものがあるんだ、紫色に光る、なんだろうと思ってみたらねぇ、それが、あの野犬だ、しかも、大型の日本犬で。じっとにらんでるんだよ、私たちを。びっくり仰天してねぇ、案内人も私も、逃げようと思ったんだけどそこで立って逃げたら追っかけてくるからね、だんだんだんだん後ずさりをして、堤防の上に上ったとたんにねぇ、足がガタガタ震えて力いっぱい走って逃げたんだ。そしたらその野犬がねぇ、うお~~とほえてね、頭の毛がみんなピューンと立つほど恐ろしかったよね。それから、野犬の話が、本当にもう、のってきて書けるようになりましたよねぇ」

椋さんの動物の生態調査は、徹底したものでした。家でも沢山の動物を飼い、観察日記を克明に付けます。

Mhj13

椋「あのー、野生動物は、飼っては駄目、野生のままで見なければ本当の、あのー彼らの習性は分からない。そして、家畜はね、やはり、心をこめて飼わなければ、観察することは出来ないと、まこう思いましたな」

実際に飼っていた猫を主人公にした、「モモちゃんとあかね」。猫のモモと、椋さんの娘さんとの交流を描いたものです。

Mhj14

梅沢アナ(朗読)「モモはすっかり年をとってボケてしまいました。モモは、死ぬときがいよいよ迫ってきたのを、動物の、あの不思議な心で感じ取ったのでしょう。そしてあかねの側で死にたかったに違いありません。とても考えられないような力をふりしぼって、あかねの声を頼りに階段を這い上がっていったのです。「おおモモ」あかねは、いとしさと感動のこもった気持ちでモモを抱き上げました。モモは、あかねに抱きかかえられながら、あかねの小指をくわえました。力尽きたモモは、あかねのひざにだかれたまま、あっという間に、冷たくなってしまったのです」

椋「これは、あのぉ、このあかねがねぇ、嫁に行く時にねぇ、何も持たしてやるものがなかったからねぇ、実際にあった話をそのまま、ほとんどそのままの状態で書いた、ノンフィクションの形で書いてねぇ、嫁に行く記念に、本にして持たしてやった物語なんですわ」

梅沢アナ「猫にも精神力があるって書いてますね」

椋「意志の強いもんだねぇ。愛する者のところにはねぇ、どんなことをしてでも行って、そのひざで死のうと思ったんだろうねぇ」

Mhj15

生き物の持つ力、そして、命の尊さを伝えたい。椋さんは、未来を背負う子供たちに語りかけます。

椋「調べていくとねぇ、トンボにしろアリにしろハチにしろヘビにしろ、みーんなそれぞれ不思議な力、不思議な力というよりも、素晴らしいかな? 素晴らしい力なんだ。地球上におるもの全部、生きてるもの全部に与えられてる。人間はそん中でまた素晴らしいでしょ?」

Mhj16

椋「一人ひとりにみーんな別の力与えられてる」

Mhj17

椋「絵の上手な人」

Mhj18

椋「歌の上手な人」

Mhj19

椋「手先の上手な人」

Mhj20

椋「足の速い人」

Mhj21

椋「全部それぞれねぇ、素晴らしい力。君たちは全部、何かしらん、どういうものを持ってるかは知らんけれども、君たちの中には、素晴らしい宝物どんな人でもみんな1人ずつ持ってる」

生き物たちの命の輝き、そして、人との交流を描いた、椋鳩十さん。生きることの素晴らしさを語り伝えた生涯でした。

Mhj22

椋「君たちみんな素晴らしい力を持っているんだから、そういう力をどのようにして、出そうか、そういうこと考えること大事だと思うね。必ず君たちは将来、それぞれの力を発揮すると思う。思うだけでなしにそうしてもらいたいね」

Mhj23

【児童文学者 椋鳩十 1905-1987】


 

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー